【思い出話】スーファミ編1 https://dmjex.blogspot.com/2019/03/1_9.html
の、1年ぶりの続きである
今回は俺がリアルタイムでプレイしていたスーファミソフトの話をする
はじめに手にしたのは
『ミッキーの東京ディズニーランド大冒険』
と『スヌーピーコンサート』の2本である
‥‥そう、子供向けのキャラモノと思い買い与えられたその中身は
いきなりの高難度ゲームとキワモノゲームだった
ピコ以外のゲームを知らないどころか
説明書で言葉を覚えるとかそういうレベルでありながら
祖父母も出動し家族全員でゲーム機という未知なるものと格闘しながら、接続や操作のレベルから何をすればいいのか探っていった思い出がある
ディズニーランド大冒険では最初のボスのピート船長は頭以外に攻撃をぶつけても効かないのだが
頭なら効くということがわからず、転がしてくるタルを延々ジャンプしながらマップ内を探ったり‥‥
スヌーピーコンサートではチャーリーではガチで何をすればいいのかわからなかったり
リランのベビーカーコースターの1面や、ライナスの崖ステージをクリアできずにひたすら挑戦していたり‥‥
「PASSWORD」の意味もわからず、家庭にインターネットもなかった時代、説明書とにらめっこしながら
テレビゲームそのものを少しずつ攻略していき、長い時間をかけて1つ1つを大事にクリアしていった
次に手にしたのは初めてのマリオとカービィ
『スーパーマリオワールド』と
『カービィボウル』である
‥‥これまたゲーム入門者には厳しいタイトルで
数ヶ月は1面から進むことができなかった気がする
近所に住む子だか親戚だかもうちへ遊びに来てカービィボウルの2Pプレイをするが、お互いボロボロで2面くらいまでしか進めなかった記憶がある
(ピコを除けば)初めてのゲームが上の2本というのもなかなかだが
初めてのカービィまでもがカービィボウルってすごくないか?
当時はまだゲームショップにタイトルごとの試遊台がズラリと5,6台横並びになっていて
そこで『星のカービィスーパーデラックス』を試遊したのが本編カービィの初プレイだ
しかし最初は画面が白き翼ダイナブレイドの1面になっていて、
ゲーム=サイドビューアクション、
落下=死
だった自分には最初の足場から降りることがわからなくて
ひたすら足場を飛び移ってピョンピョンしていたが
別の子がその試遊台で飛び降りているのを見て知見を得たことを覚えている
横の『スーパーボンバーマン4』の試遊台で
「何をすればいいのかわからず開始地点にボムを置き自爆」の通過儀礼を通っている
(4は結局プッシュ等のシステムが教育上悪いとかで買い与えられず、十数年が経ってから自分で調達してプレイすることになった)
そんな中、思い出深いタイトルがある
『スーパードンキーコング』と『スーパーボンバーマン3』『スーパーボンバーマン5』だ
幼少期はまだ家庭が平和で、この名作2タイトルには親もハマり
この先へ進んだら何があるんだろう、とワクワクしながら攻略本を読みながら母とかわりばんこに協力しながら攻略していた
父との”たたかいごっこ”もスパボン3の敵キャラの真似だった
『す~ぱ~ぷよぷよ通決定版』(やはりネットがないので連鎖の組み方なんて共有されていない)
は祖母がハマり「ウワサの2人の階」まで俺よりも先に到達していた
遠い家族団欒の記憶、それが俺にとってのスーファミである
しかし純粋にゲームとして見て最も印象に残っているのは『星のカービィ3』
プレイしたのはGBの『星のカービィ2』のあとで、下村カービィに触れるのは2作目だったが
最初はスパデラとの差に驚いたのを覚えている
同じスーファミのカービィなのに全然ハデさや操作感が違くて、それでいてアーティスティックで、他のスーファミのゲームと比べてもかなり異質なタイトルに見えた
しかしその何も語らぬも暗く儚い世界観に完全に引き込まれていった
このゲームのグッドエンドの曲はもし自分の葬式をやるならかけて欲しい曲No1でありつづけている
またいつになるかわからない思い出話のゲームボーイポケット編でも語るが、ポケットカメラをスーパーゲームボーイに挿してプレイなんて事もしていた
他には『忍たま乱太郎2』や『ドラえもん4 のび太と月の王国』といったサイドビューアクションのキャラゲーが主に買い与えられており
リアルなグラフィックなゲームやスーファミのRPGはリアルタイムではプレイしていない
お陰でサイドビューアクションが最もキャリアが長く得意なジャンルとなった
風来のシレン、ポケモン、麻雀 ラックマジネメントゲームを考える3
初代シレンのエンディングを見てからしばらく経ったので、ここで再びゲームの運要素とそれと向き合うプレイヤーの体験の質について考えることにした
まずシレンは、プレイ経験とNPCのセリフなどゲーム中に散りばめられたヒントと敵の行動を観察した経験によって知識を得て
その知識を利用することによって、
今プレイヤー置かれている状況から何が起こるか、どんな戦略が有効かを予測し
死のリスクという最大の一線を超えないように限られたリソースを活用して立ち回るラックマネジメントゲームである
ここで重要なのは「対処不能な状況へ至る前にそれを回避する戦略を取ることが出来る」ことにある
フロアを降りた直後に強い敵3体に囲まれるということが発生し、その場合に巻物などを持っていないと詰んでしまうが‥‥
一見運死にに見えるこの状況も、回避できないことはないバランスになっている
それは
『1フロアで必ず数個はアイテムが手に入るようになっている事』と、『フロアの敵が枯渇せず湧き続ける事』、『ただ使うだけでは武器が弱くなったり壊れたりしない事』
がミソで
同じフロアに留まるほどレベルは上がるし、ピンチを切り抜けるのに有用なアイテムを手に入る確率も上がり、腹減りもよほど無駄な動きをしなければまず困らないようなバランスになっているので
同じフロアで探索・レベリングをすることの危険度が低い設定が揃っている
運が悪くても矢や杖の数が足りるのかは繰り返しプレイしなければわからないが、倉庫によるアイテムの持ち込みを利用することでより安定させることが出来る
それでいてかつ敵が非常に強く難しいので、強いアイテムが出た時の幸福感、それを使う消費欲の解消、先へ進む達成感を感じさせてくれる
ゲームがプレイヤーにできる「予測」と「対処」にどれだけ近づけるかが、運に対して理不尽さや無力さを感じさせないポイントなのかもしれない
一方でポケモンには、大きく分けて2つの運要素がある
一つは対戦用育成、もう一つは対戦中の確率である
一人プレイでは難しければレベルを上げるか詰まった場所を突破できるポケモンを用意するかなので、ラックマネジメントはあまり関係がない
対戦用育成における厳選は、完全な運でしかなくコントロール不可能な作業であり
プレイヤーにできることといえば厳選に必要な環境の下準備をゲーム内外ですることくらいで
なくすに越したことがない要素といえる
対戦中の確率は、支配戦略を定める範疇に収まっており
特に命中率という要素では技が4つという制限に現実的には相性が悪くなっている
例えばだいもんじとかえんほうしゃを同時に覚えさせることができるポケモンはいるし、第四世代くらいの頃はまだそれを実践しているプレイヤーもいたが
往々にして技の枠が一つ余るということはなく(ダブルバトルでは尚更)有効な戦略とは言えないため、ただゲーム側でできるように設定されているだけで実際にそれを行うことはない
タイプによる差も第八世代現在もあり、対戦で通用するステータスでかつストーンエッジとパワージェムを両立させるなんてことができるポケモンは存在しない
結果として命中率についてはもう期待値に期待して命中率の低い技を撃つか、命中100の技を中心に構築したパーティを使うしか無いわけで
実質的にマネジメント不能な運要素となってしまっている
ひるみや麻痺といった追加効果については、トゲキッスやランドロスを突破できるポケモンを選出するか、何らかの状態異常に備えてアイテムの補助が必要ないポケモンにラムのみを持たせるという極めて限定された対処法しかなく
種族値の低いポケモンでこういったものを利用して長期的に勝ち越すこともなく、これもまたマネジメントができるという範疇を出てしまっている
ただはじめに言ったようにこれらは支配戦略を定める要素にはなっており、
相手の支配戦略を見極めて行動を決定するというゲームにはなっている
だがそれによって問題点が埋もれ、対戦までに面白さがない単純作業を必須でやらされるとか、好きなポケモンで勝てないとか、いまだに所持人口に対して対戦人口があまりに少ない状態が続いている
自分自身ももうやる気がないし、それよりもまずオンライン有料を撤回しろと言いたいが‥‥
これらを踏まえてもう一度麻雀を見ると
だいぶ運に対する有効打が無いように見え、できることといえば
振り込まないようにすることと、待ちを切り替えることくらいだろうか
勝っている時は安い役でアガるとか、危険牌になりうるものを早く捨てるとか戦略性はある
そして防御ばかりしているといつかツモられて負ける
しかし運だけで東風戦に勝つこともでき、一定の公平さがある
予測と対処から遠いにもかかわらず、ただ運を味方につけやすいという点だけで理不尽、無力から遠ざかっている
一方で、ジャンケンに理不尽さや無力さを感じる人もいない
麻雀は飽きないように装飾したジャンケンなのか?
ジャンケンの工程を増やせばジャンケンではなくなるのか?
麻雀をこれ以上考えるには、麻雀をきちんと学ばなければならない
まずシレンは、プレイ経験とNPCのセリフなどゲーム中に散りばめられたヒントと敵の行動を観察した経験によって知識を得て
その知識を利用することによって、
今プレイヤー置かれている状況から何が起こるか、どんな戦略が有効かを予測し
死のリスクという最大の一線を超えないように限られたリソースを活用して立ち回るラックマネジメントゲームである
ここで重要なのは「対処不能な状況へ至る前にそれを回避する戦略を取ることが出来る」ことにある
フロアを降りた直後に強い敵3体に囲まれるということが発生し、その場合に巻物などを持っていないと詰んでしまうが‥‥
一見運死にに見えるこの状況も、回避できないことはないバランスになっている
それは
『1フロアで必ず数個はアイテムが手に入るようになっている事』と、『フロアの敵が枯渇せず湧き続ける事』、『ただ使うだけでは武器が弱くなったり壊れたりしない事』
がミソで
同じフロアに留まるほどレベルは上がるし、ピンチを切り抜けるのに有用なアイテムを手に入る確率も上がり、腹減りもよほど無駄な動きをしなければまず困らないようなバランスになっているので
同じフロアで探索・レベリングをすることの危険度が低い設定が揃っている
運が悪くても矢や杖の数が足りるのかは繰り返しプレイしなければわからないが、倉庫によるアイテムの持ち込みを利用することでより安定させることが出来る
それでいてかつ敵が非常に強く難しいので、強いアイテムが出た時の幸福感、それを使う消費欲の解消、先へ進む達成感を感じさせてくれる
ゲームがプレイヤーにできる「予測」と「対処」にどれだけ近づけるかが、運に対して理不尽さや無力さを感じさせないポイントなのかもしれない
一方でポケモンには、大きく分けて2つの運要素がある
一つは対戦用育成、もう一つは対戦中の確率である
一人プレイでは難しければレベルを上げるか詰まった場所を突破できるポケモンを用意するかなので、ラックマネジメントはあまり関係がない
対戦用育成における厳選は、完全な運でしかなくコントロール不可能な作業であり
プレイヤーにできることといえば厳選に必要な環境の下準備をゲーム内外ですることくらいで
なくすに越したことがない要素といえる
対戦中の確率は、支配戦略を定める範疇に収まっており
特に命中率という要素では技が4つという制限に現実的には相性が悪くなっている
例えばだいもんじとかえんほうしゃを同時に覚えさせることができるポケモンはいるし、第四世代くらいの頃はまだそれを実践しているプレイヤーもいたが
往々にして技の枠が一つ余るということはなく(ダブルバトルでは尚更)有効な戦略とは言えないため、ただゲーム側でできるように設定されているだけで実際にそれを行うことはない
タイプによる差も第八世代現在もあり、対戦で通用するステータスでかつストーンエッジとパワージェムを両立させるなんてことができるポケモンは存在しない
結果として命中率についてはもう期待値に期待して命中率の低い技を撃つか、命中100の技を中心に構築したパーティを使うしか無いわけで
実質的にマネジメント不能な運要素となってしまっている
ひるみや麻痺といった追加効果については、トゲキッスやランドロスを突破できるポケモンを選出するか、何らかの状態異常に備えてアイテムの補助が必要ないポケモンにラムのみを持たせるという極めて限定された対処法しかなく
種族値の低いポケモンでこういったものを利用して長期的に勝ち越すこともなく、これもまたマネジメントができるという範疇を出てしまっている
ただはじめに言ったようにこれらは支配戦略を定める要素にはなっており、
相手の支配戦略を見極めて行動を決定するというゲームにはなっている
だがそれによって問題点が埋もれ、対戦までに面白さがない単純作業を必須でやらされるとか、好きなポケモンで勝てないとか、いまだに所持人口に対して対戦人口があまりに少ない状態が続いている
自分自身ももうやる気がないし、それよりもまずオンライン有料を撤回しろと言いたいが‥‥
これらを踏まえてもう一度麻雀を見ると
だいぶ運に対する有効打が無いように見え、できることといえば
振り込まないようにすることと、待ちを切り替えることくらいだろうか
勝っている時は安い役でアガるとか、危険牌になりうるものを早く捨てるとか戦略性はある
そして防御ばかりしているといつかツモられて負ける
しかし運だけで東風戦に勝つこともでき、一定の公平さがある
予測と対処から遠いにもかかわらず、ただ運を味方につけやすいという点だけで理不尽、無力から遠ざかっている
一方で、ジャンケンに理不尽さや無力さを感じる人もいない
麻雀は飽きないように装飾したジャンケンなのか?
ジャンケンの工程を増やせばジャンケンではなくなるのか?
麻雀をこれ以上考えるには、麻雀をきちんと学ばなければならない
テレビがどうなったら観る気になるか寝ながら考えた
小学生の頃は熱心にテレビを観て、それの真似ばかりしていたほどのテレビっ子だったが
今では地デジのチャンネルと局が一致してないレベルでテレビを観なくなった俺が
どうしたら今のテレビを観る気になるか、寝ている間に無意識に考えていたらしく朝起きたらなぜかアイデアが出揃っていたので書き出していく
・番組ブロック
・出演者ブロック
・CMブロック/お気にいりCM
・ターゲティングCM
ここでいうブロックとはどういう仕組みかといったら
気に入らない番組や出演者をブロックすると、該当する番組中の時間帯は
本来その時間帯に流れるCM
ターゲティングされたCM
お気に入りに入れたCM
の中からブロックした物を除いたCMがずっと流れ続ける仕組みである
観る気がないを通り越して不快な番組やCMをブロックしそれが当局側に届けば満足感があるし
観たい番組がなくてテレビが消されているよりは気に入ったPVやイカしたMV数個が無限に再生されているほうが視聴者と当局側双方にとって得である
今のテレビが持つ受動よりのインタラクティブ性というのはかなり特異で
うまく形が変わればyoutubeを検索する気力すらない、という状態の人間の心理にスポっとハマり、視聴者として取り込めると考えている
一度操作すればチャンネルを変える必要なく、観ていて気分の悪くない数種類のプロモ映像が代わる代わる流れ続けるというのは
PCやスマホで同じことをしようとするためにいるエネルギーを使うほどの能動性を持っている時はまずやらない事、つまり得ることのない体験である
パソコンやスマホをいじらずにテレビを観るレベルの受動性を持っている時なら受け入れられ、かつ他で味わうことのない体験(電車の動画広告とやや似ているが)なのでスポっとハマる
そしてこれも上に挙げた物の後押しになる
・番組を10段階評価できる機能の実装
・視聴率の撤廃、評価率とブロック率の導入
・お気に入りのジャンル、テーマ、番組、出演者の登録によるターゲティング絞り
これらがもし実現されたなら
テレビ局側は今では見なくなったようなジャンル、再びクイズ番組やコント番組、劇団や一般人を利用した番組などといった”テレビが面白かったあの頃”のようなやつから
特定層へのプロモーション色が強くなったことで今までになかったような多彩な物を作るようになるだろうし、
スポンサー側もCMを記憶に残すだけの洗脳じみた物より
求心力があり不快感のない物を作るようになるだろう
最後に書いた事+好きな時に観たい、観たくないCMを観たくない、垂れ流し状態で不快な番組が出てほしくないというのが核で
そのためにはこんなふうにテレビのビジネスモデルがネットや他の媒体と食い合わない形で進化する必要があるだろうと門外漢が想像した
リアルタイムで観たことがない
『志村けんのだいじょうぶだぁ』がここのところ毎日1回ずつyoutubeに公式で上げられているのを初めて観て
「やはり思い出補正も規制も関係なく昔のテレビは面白かった」と再認識しており、その記憶が見せた夢だったのかもしれない
今では地デジのチャンネルと局が一致してないレベルでテレビを観なくなった俺が
どうしたら今のテレビを観る気になるか、寝ている間に無意識に考えていたらしく朝起きたらなぜかアイデアが出揃っていたので書き出していく
・番組ブロック
・出演者ブロック
・CMブロック/お気にいりCM
・ターゲティングCM
ここでいうブロックとはどういう仕組みかといったら
気に入らない番組や出演者をブロックすると、該当する番組中の時間帯は
本来その時間帯に流れるCM
ターゲティングされたCM
お気に入りに入れたCM
の中からブロックした物を除いたCMがずっと流れ続ける仕組みである
観る気がないを通り越して不快な番組やCMをブロックしそれが当局側に届けば満足感があるし
観たい番組がなくてテレビが消されているよりは気に入ったPVやイカしたMV数個が無限に再生されているほうが視聴者と当局側双方にとって得である
今のテレビが持つ受動よりのインタラクティブ性というのはかなり特異で
うまく形が変わればyoutubeを検索する気力すらない、という状態の人間の心理にスポっとハマり、視聴者として取り込めると考えている
一度操作すればチャンネルを変える必要なく、観ていて気分の悪くない数種類のプロモ映像が代わる代わる流れ続けるというのは
PCやスマホで同じことをしようとするためにいるエネルギーを使うほどの能動性を持っている時はまずやらない事、つまり得ることのない体験である
パソコンやスマホをいじらずにテレビを観るレベルの受動性を持っている時なら受け入れられ、かつ他で味わうことのない体験(電車の動画広告とやや似ているが)なのでスポっとハマる
そしてこれも上に挙げた物の後押しになる
・番組を10段階評価できる機能の実装
・視聴率の撤廃、評価率とブロック率の導入
・お気に入りのジャンル、テーマ、番組、出演者の登録によるターゲティング絞り
これらがもし実現されたなら
テレビ局側は今では見なくなったようなジャンル、再びクイズ番組やコント番組、劇団や一般人を利用した番組などといった”テレビが面白かったあの頃”のようなやつから
特定層へのプロモーション色が強くなったことで今までになかったような多彩な物を作るようになるだろうし、
スポンサー側もCMを記憶に残すだけの洗脳じみた物より
求心力があり不快感のない物を作るようになるだろう
最後に書いた事+好きな時に観たい、観たくないCMを観たくない、垂れ流し状態で不快な番組が出てほしくないというのが核で
そのためにはこんなふうにテレビのビジネスモデルがネットや他の媒体と食い合わない形で進化する必要があるだろうと門外漢が想像した
リアルタイムで観たことがない
『志村けんのだいじょうぶだぁ』がここのところ毎日1回ずつyoutubeに公式で上げられているのを初めて観て
「やはり思い出補正も規制も関係なく昔のテレビは面白かった」と再認識しており、その記憶が見せた夢だったのかもしれない
麻雀と他ゲーから考えるラックマネジメントゲーム2
麻雀の大きな役は出さなくてもゲームが成り立つ
小さい役を重ねればそれに代わる高得点を出すことが出来るし
小さい役だけで逃げ切れば勝負に勝つことも出来る
役が大きく揃っていなくても勝負がひっくり返ることがある
「大きな運が目標になったり、大きな運に頼らなければ目標を達成できない」
ことをシステムやプレイヤーの選択の余地によって回避しているのである
‥‥
なぜ引き続きこうしたことを考えているかというと、
「新しくないゲームで」「運ゲーで」「敷居も低くないのに」「初心者が」「負けてもストレスが低く同じゲームを続けるモチベーションを持ち続けられる」
という麻雀の特異な特徴に俺が今注目しているからだ
ブラウザゲーム全盛期を過ぎてなお、天鳳や雀魂といったサービスを多数の日本人が集まってプレイしているという状況が持続していることからも
従来のオフ麻雀の「やる仲間がいるから」論やブラウザゲーム人気論とも少しズレてきた事からもより一層、今この時期だからこそ注目度が高い
lolやブラサバ等は基本無料であるにも関わらず試合に参加しているプレイヤーのうち外国人が大半であることが多く
日本人の中で広く好まれているとは言い難い
lolはeスポーツブームもあり知名度で麻雀と上に挙げた点で結構似た特性を持つスプラトゥーンに負けていないにも関わらずだ
ブラサバも口コミのされやすさに対して日本人プレイヤーは少ないと思う
運営の質の差もあれど、むしろスプラトゥーンがよくやっていると考えられるかもしれない
技術介入度があり、運要素の主たるものが味方運であるためストレスも高い
プレイにはソフトの購入が必要で、さらに2はオンライン料金が発生する
にも関わらず人気が持続しているのは‥‥
やはり見事に作り込まれた1の頃に築いたシリーズの持つイメージとプロモーションが成功したから、という他にサウンドがいいというビデオゲーム特有の良さや
操作感の良さというアクションゲーム特有の要素もある
今自分自身は1はもうある程度やり尽くし、2はオンライン有料であるというのと1→2における変更点が受け入れられないことから全くやる気がないのだが、2のゲーム性、味方に合わせるのが好きという人の話も聞いて理解はできる
しかし麻雀はイカを上回る求心力・優れた点があると見ている
イカは結局ストレスが強いし、技術介入度が直接的に一部の層を遠ざけている側面もあるからだ(ゲームに慣れている俺ですら1のスクイックリン・竹筒や2のチャージャー等は技術介入度を理由にやりたくない)
囲碁・将棋も打てるがそれらは対戦型ビデオゲームに結局敵わないと思っていて
麻雀も同じくらいに軽視していたが
麻雀に関してはそれは間違いだったかもしれないと、ビデオゲームのモチベーションが下がった今でこそ思っている
一人用ゲームでも運ゲーの運のバランスというのは重要で、今丁度SFCの初代風来のシレンをプレイしているので
これもまた麻雀と一緒に「良い運ゲー」の要素を洗い出していきたいところ
小さい役を重ねればそれに代わる高得点を出すことが出来るし
小さい役だけで逃げ切れば勝負に勝つことも出来る
役が大きく揃っていなくても勝負がひっくり返ることがある
「大きな運が目標になったり、大きな運に頼らなければ目標を達成できない」
ことをシステムやプレイヤーの選択の余地によって回避しているのである
‥‥
なぜ引き続きこうしたことを考えているかというと、
「新しくないゲームで」「運ゲーで」「敷居も低くないのに」「初心者が」「負けてもストレスが低く同じゲームを続けるモチベーションを持ち続けられる」
という麻雀の特異な特徴に俺が今注目しているからだ
ブラウザゲーム全盛期を過ぎてなお、天鳳や雀魂といったサービスを多数の日本人が集まってプレイしているという状況が持続していることからも
従来のオフ麻雀の「やる仲間がいるから」論やブラウザゲーム人気論とも少しズレてきた事からもより一層、今この時期だからこそ注目度が高い
lolやブラサバ等は基本無料であるにも関わらず試合に参加しているプレイヤーのうち外国人が大半であることが多く
日本人の中で広く好まれているとは言い難い
lolはeスポーツブームもあり知名度で麻雀と上に挙げた点で結構似た特性を持つスプラトゥーンに負けていないにも関わらずだ
ブラサバも口コミのされやすさに対して日本人プレイヤーは少ないと思う
運営の質の差もあれど、むしろスプラトゥーンがよくやっていると考えられるかもしれない
技術介入度があり、運要素の主たるものが味方運であるためストレスも高い
プレイにはソフトの購入が必要で、さらに2はオンライン料金が発生する
にも関わらず人気が持続しているのは‥‥
やはり見事に作り込まれた1の頃に築いたシリーズの持つイメージとプロモーションが成功したから、という他にサウンドがいいというビデオゲーム特有の良さや
操作感の良さというアクションゲーム特有の要素もある
今自分自身は1はもうある程度やり尽くし、2はオンライン有料であるというのと1→2における変更点が受け入れられないことから全くやる気がないのだが、2のゲーム性、味方に合わせるのが好きという人の話も聞いて理解はできる
しかし麻雀はイカを上回る求心力・優れた点があると見ている
イカは結局ストレスが強いし、技術介入度が直接的に一部の層を遠ざけている側面もあるからだ(ゲームに慣れている俺ですら1のスクイックリン・竹筒や2のチャージャー等は技術介入度を理由にやりたくない)
囲碁・将棋も打てるがそれらは対戦型ビデオゲームに結局敵わないと思っていて
麻雀も同じくらいに軽視していたが
麻雀に関してはそれは間違いだったかもしれないと、ビデオゲームのモチベーションが下がった今でこそ思っている
一人用ゲームでも運ゲーの運のバランスというのは重要で、今丁度SFCの初代風来のシレンをプレイしているので
これもまた麻雀と一緒に「良い運ゲー」の要素を洗い出していきたいところ
麻雀とTFTの違いから考えるラックマネジメントゲーム
最近、仲間内でオンラインの麻雀をやることがあり(きっと月ノ美兎の影響)
TFT(チームファイトタクティクス)もオレソル流れ者メタの時に辞めていたのを再開した
そんな中、この似通った2つのゲームを一人でやっている時の”止め時”の動機に差があることに気づいた
麻雀は「時間の無駄に感じてきたから止める」
TFTは「疲れたから止める」
なのである
これはつまり、麻雀はより運要素が強く負担が少ない、
TFTは技術介入度があり比較的負担がかかっている、
ということになる
麻雀は組み上げた手がいとも簡単に御破算になるしツモアガリで一瞬で勝負が決するが
TFTは終始、場および手牌と向き合い続けることになり、体力制でジリジリと終わりへ向かっていく
ただ技術介入度というだけでなく、情報量や表現などで見ても、より高度なのはTFTだが
lolのキャラが好きとかそういった動機を抜きにして、
ゲームを選ぶ動機としてラックマネジメントゲームを求めているという前提があるとき
果たしてどちらが要件を満たし”優れている”と言えるだろうか?
ラックマネジメントゲームは運と競争の複合である
より純粋な競争を求めれば格闘ゲームなどに寄るし
より純粋な運を求めればじゃんけんゲームなどの統計取りに寄るだろう
では複合であるラックマネジメントゲームの究極はどこにあるのか?
例に上げた麻雀とTFTの他にも、ブラサバ、ポケモン、果ては勝負所のツモで勝敗が左右される場合があるぷよぷよにすらラックマネジメントの要素はあり
どれも運と技術のバランスが異なるし、メカニクスやパラメーターの匙加減で大きくそのバランスは変わり
最も適切な比率がどこにあるのかを推し量るのは難しい
逆に悪い方の究極のケースがある
それがlol、サモリフのソロキューだ
ランダム性の少ない競争に特化したゲーム盤に、ランダムに選ばれる敵と味方の組み合わせという完全な運が一滴の異物として垂れ落ち、その一滴が大きく全体の色を変えてしまっている
この不協和音が非常に強いストレスをプレイヤーに与えている
運営に出来る工夫は同じくらいの実力のプレイヤー10人をマッチングさせる事以上に、
「味方への攻撃や故意的な利敵行為をするイレギュラーなプレイヤーを排除する事」で
これが異物を取り除くために必須の行動だが、残念ながらその取り組みは不全のまま長年放置されている‥‥
ポケモンもバランスが悪い
ステータス1単位までこだわって育成作業をした先にあるのが、命中率や急所や状態異常といったラックマネジメントゲームである
こうした悪い例やレーティングなどでストレスが感じる瞬間を思い起こしてわかるのは、
『競争』と『運』の片一方の要素を特化させてから混ぜることでバランスが悪くなってしまうという事である
つまり‥‥
ラックマネジメントゲームは、競争要素も運要素も適度に適当な感じなのが適当なのだ!!!1234
ラックマネジメントゲームを選ぶ時は、気分だってかっちりしていないはずだ
かっちりしていない時にかっちりしていないゲームをする、これがバッチリと当てはまる答えなのかもしれない!?
TFT(チームファイトタクティクス)もオレソル流れ者メタの時に辞めていたのを再開した
そんな中、この似通った2つのゲームを一人でやっている時の”止め時”の動機に差があることに気づいた
麻雀は「時間の無駄に感じてきたから止める」
TFTは「疲れたから止める」
なのである
これはつまり、麻雀はより運要素が強く負担が少ない、
TFTは技術介入度があり比較的負担がかかっている、
ということになる
麻雀は組み上げた手がいとも簡単に御破算になるしツモアガリで一瞬で勝負が決するが
TFTは終始、場および手牌と向き合い続けることになり、体力制でジリジリと終わりへ向かっていく
ただ技術介入度というだけでなく、情報量や表現などで見ても、より高度なのはTFTだが
lolのキャラが好きとかそういった動機を抜きにして、
ゲームを選ぶ動機としてラックマネジメントゲームを求めているという前提があるとき
果たしてどちらが要件を満たし”優れている”と言えるだろうか?
ラックマネジメントゲームは運と競争の複合である
より純粋な競争を求めれば格闘ゲームなどに寄るし
より純粋な運を求めればじゃんけんゲームなどの統計取りに寄るだろう
では複合であるラックマネジメントゲームの究極はどこにあるのか?
例に上げた麻雀とTFTの他にも、ブラサバ、ポケモン、果ては勝負所のツモで勝敗が左右される場合があるぷよぷよにすらラックマネジメントの要素はあり
どれも運と技術のバランスが異なるし、メカニクスやパラメーターの匙加減で大きくそのバランスは変わり
最も適切な比率がどこにあるのかを推し量るのは難しい
逆に悪い方の究極のケースがある
それがlol、サモリフのソロキューだ
ランダム性の少ない競争に特化したゲーム盤に、ランダムに選ばれる敵と味方の組み合わせという完全な運が一滴の異物として垂れ落ち、その一滴が大きく全体の色を変えてしまっている
この不協和音が非常に強いストレスをプレイヤーに与えている
運営に出来る工夫は同じくらいの実力のプレイヤー10人をマッチングさせる事以上に、
「味方への攻撃や故意的な利敵行為をするイレギュラーなプレイヤーを排除する事」で
これが異物を取り除くために必須の行動だが、残念ながらその取り組みは不全のまま長年放置されている‥‥
ポケモンもバランスが悪い
ステータス1単位までこだわって育成作業をした先にあるのが、命中率や急所や状態異常といったラックマネジメントゲームである
こうした悪い例やレーティングなどでストレスが感じる瞬間を思い起こしてわかるのは、
『競争』と『運』の片一方の要素を特化させてから混ぜることでバランスが悪くなってしまうという事である
つまり‥‥
ラックマネジメントゲームは、競争要素も運要素も適度に適当な感じなのが適当なのだ!!!1234
ラックマネジメントゲームを選ぶ時は、気分だってかっちりしていないはずだ
かっちりしていない時にかっちりしていないゲームをする、これがバッチリと当てはまる答えなのかもしれない!?
クソゲーすぎて心が折られたタイトル3選
「心に残るクソゲー」
には良い意味と悪い意味がある
良いクソゲーは不出来な代わりに尖った部分や優れている部分もある物だが
悪いクソゲーはそのタイトル、シリーズどころかゲーム自体が嫌いになってしまうような物だ
今回は俺が今まで引いた”悪い”クソゲー、
それも最初からクソゲーをやるつもりで手を出したのではなく、普通に期待して裏切られたタイトルの話をしよう
その1:星のカービィWii
同じwiiのカービィでもよく世間でクソゲーと言われるのは毛糸のカービィだし
wiiで最も求められる水準を下回る意味で落差の酷いクソゲーはゼルダの伝説スカイウォードソードである
それらではなくあえてコレを挙げるのには理由がある
目立つ悪い点はスーパー能力の”ゲー無”っぷり、ただ決まったことをやらされるだけでボタンを押して進むムービーシーンのようなものであるという点だが
大きく心を折ったのはむしろこの先
普通のステージのギミックが、SFCや64のサイドビューアクションで見たことのあるような物ばかりで
夢の泉やスパデラのような表現や演出面での遊び心もなく
ハルカンドラの設定も世界を拡張するのではなく後付けでそれまでのカービィの世界を陳腐化させるように見えた
そういったものが毛糸でずっこけた直後、名作であるタッチとUSDXとに続く熊崎カービィの本編新作であるというポジションで出たわけで
カービィの、それどころかサイドビューアクションのどん詰まりを感じさせられた
これをプレイしている最中は本当にやるのがきつくて、一応完全クリアまではプレイしたもののかなり気分が落ち込んで
「ミニゲームは面白かったから毛糸よりはマシ!良しとしよう!」なんて当時は思っていたのだが
あとから振り返ればアレは世に出ちゃいけなかったなと思うくらいのモノだったし、挑戦作の脇道だった毛糸ではなく実はこちらでカービィをやらなくなった人も多いのではないだろうか、と
3DSのカービィが良作揃いなのに対して知人にプレイしている人が少ないことから感じている
にも関わらずその後のスマブラシリーズでカービィの切り札がビッグバンなどになるわけでもなくずっとウルトラソードのままなのを見るたびにカービィwiiの嫌な気持ちを思い出すし
なぜもっとこのタイトルはシリーズの中で低評価されないのだろうという憤りを覚えてしまう
熊崎信也自身も、ロボボプラネットのインタビュー記事で
アクションにおいてやらされている感が問題という例に本当にダメだったスーパー能力ではなく直前の悪くはなかったトリプルデラックスのビッグバンを出しており
そういったこともモヤモヤする
その2:テイルズオブエクシリア2
ゲームとして大失敗なのは前作にあたるテイルズオブエクシリアだが、しかしこれもまたある理由からあえて2の方を挙げる
言うなればエクシリアはやろうとしたことがうまく実現できなかった、ただの失敗だが
エクシリア2は”テイルズオブシリーズへの冒涜”である
テイルズはキャラクターと世界観が重要なシリーズで
それまでのシリーズでは、タイトルを跨いで同じ世界と違う世界はハッキリと分けて描かれており世界観は大切にされてきた
キャラの服装やバックボーンもその世界に準じた、シリーズを通してファンタジーを基調としたものになっていた
それがエクシリアになってから急に崩れ
2では挙げ句に不出来な前作を補完しないどころか、シリーズ第一作、テイルズオブファンタジアに名前だけ出てきてまだ描かれていない設定を雑に出すという禁忌を犯した
キャラの外見も前作の時点で世界から浮いていたのに開き直ってファンタジーでなくなり現実世界で女ウケの良い男性の職業の制服・髪型となっている
それらで完全に俺は怒り、前作は我慢して我慢してなんとかクリアしたもののとうとうこのタイトルは最後までプレイすることを止め
VやXでメカニクスやシステムのゲーム部分が崩壊していてもなんとか目をつぶりずっと追っていたテイルズを追うのをやめることを決心した
テイルズオブシリーズは冗談抜きでJRPGどころか日本のオタゲーのシンボルで、中二病の原点だったとさえ思っている
FFやアニメのエヴァンゲリオンなどとは毛色が違う、技名を叫ぶような、データ寄りのTRPG的な、リアルを見上げて卑屈になるのではなくむしろ見下し、ファンタジー、バーチャルやブラックボックスに帰属する貴族的な振る舞いが真の中二病であるからしてだ
テイルズがなければスターオーシャンはなかったし、スターオーシャンがなければ地上波、それも当時は圧倒的な力を持つメディアだった『夕方のテレビ』でオタゲー発のアニメが流れることなんて無かった
テイルズの本編というのはそれくらい文化を牽引するような重要な座であっただけに、こんな人を舐め腐ったような事をするまでに成り下がったことには色々な方向で見て強い絶望感があったし
だめになっていくシリーズに触れていて悲しかった
次の次にあたるベルセリアの評判が良く、セールだしPS4の容量が余っていたので結局戻ってきて買ってしまったのだが
いまだに自分の中のテイルズ像が壊れてしまったのでプレイする気を無くしている
その3:世界樹の迷宮X
実を言うと俺、いま一人用ゲームが全然できない体になっちまった
あれだけ俺にはゲームだけだ!と思っていたのに
ある程度出来のいいゲームをやっても面白く感じない、やれるゲームもクリア重視でさっさと終わらせて振り返ったりやり込むこともなくなったし、新しくゲームの曲を求めることもなくなったし
冷めてしまったと言うか、飽きてしまったと言うか‥‥
その原因になったタイトルがハッキリこれだと言える、世界樹の迷宮クロスなんだよなあ‥‥
本当にこれを境にゲーム自体が嫌になってしまって、PCでマルチプレイの対戦ゲームで時間を潰す毎日になっている
クリアまでの100時間だけでなく、それまで1~5のシリーズに捧げたすべての時間と情熱、そして夢が
すべて台無しにされたような気がした‥‥
細かい具体的な悪い点は挙げられはするのだが、一言で言えば「まにあわせ」
2という理不尽でバグもあるクソゲーもあったがそれは良い意味で心に残るクソゲーだったし2は最高のナラティブを提供してくれた
クリアしたときは最後に表示されるたった数行のメッセージに涙まで流した
1~5はどれも「まにあわせ」なんて言葉とは真逆の、BGMと足音のタイミングまで緻密に仕組まれた素晴らしいゲームだった
そんなシリーズの集大成、きっと最後の作品が「まにあわせ」
普通にクリアするだけで100時間かかる、難しいからリトライの時間を含めればもっとかかる超大作で「まにあわせ」
これをクリアした時、なんだか魔法が解けたようになって、凄まじい虚無感に襲われた
それから俺はろくにゲームができなくなってしまってもう2年が経つ
いやセキロや灯火の星、ポケモン剣は純粋に楽しめたんだけど‥‥
熱量が下がって、前のようにたくさん色々なゲームをすることがなくなってしまった
PSNが悪いのか、スイッチオンラインが悪いのか、コントローラーが悪いのか、いまどきのプレイヤーが悪いのか、開発が悪いのか、出資者が悪いのか、世の中が悪いのか‥‥
色々あるけど、やっぱり俺自身の中で決定的な火消しになったのは世界樹Xだったと思う
あるはずだった”本当の世界樹X”の姿を空想することは長い期間何度もあったが
最近はそれすらしなくなった‥‥
時間が経てばと思っていたけどいつまで経っても面白いゲームをプレイしても癒えることはないしゲームのやる気はずっとない
この先俺はずっとこのままなのか?
には良い意味と悪い意味がある
良いクソゲーは不出来な代わりに尖った部分や優れている部分もある物だが
悪いクソゲーはそのタイトル、シリーズどころかゲーム自体が嫌いになってしまうような物だ
今回は俺が今まで引いた”悪い”クソゲー、
それも最初からクソゲーをやるつもりで手を出したのではなく、普通に期待して裏切られたタイトルの話をしよう
その1:星のカービィWii
同じwiiのカービィでもよく世間でクソゲーと言われるのは毛糸のカービィだし
wiiで最も求められる水準を下回る意味で落差の酷いクソゲーはゼルダの伝説スカイウォードソードである
それらではなくあえてコレを挙げるのには理由がある
目立つ悪い点はスーパー能力の”ゲー無”っぷり、ただ決まったことをやらされるだけでボタンを押して進むムービーシーンのようなものであるという点だが
大きく心を折ったのはむしろこの先
普通のステージのギミックが、SFCや64のサイドビューアクションで見たことのあるような物ばかりで
夢の泉やスパデラのような表現や演出面での遊び心もなく
ハルカンドラの設定も世界を拡張するのではなく後付けでそれまでのカービィの世界を陳腐化させるように見えた
そういったものが毛糸でずっこけた直後、名作であるタッチとUSDXとに続く熊崎カービィの本編新作であるというポジションで出たわけで
カービィの、それどころかサイドビューアクションのどん詰まりを感じさせられた
これをプレイしている最中は本当にやるのがきつくて、一応完全クリアまではプレイしたもののかなり気分が落ち込んで
「ミニゲームは面白かったから毛糸よりはマシ!良しとしよう!」なんて当時は思っていたのだが
あとから振り返ればアレは世に出ちゃいけなかったなと思うくらいのモノだったし、挑戦作の脇道だった毛糸ではなく実はこちらでカービィをやらなくなった人も多いのではないだろうか、と
3DSのカービィが良作揃いなのに対して知人にプレイしている人が少ないことから感じている
にも関わらずその後のスマブラシリーズでカービィの切り札がビッグバンなどになるわけでもなくずっとウルトラソードのままなのを見るたびにカービィwiiの嫌な気持ちを思い出すし
なぜもっとこのタイトルはシリーズの中で低評価されないのだろうという憤りを覚えてしまう
熊崎信也自身も、ロボボプラネットのインタビュー記事で
アクションにおいてやらされている感が問題という例に本当にダメだったスーパー能力ではなく直前の悪くはなかったトリプルデラックスのビッグバンを出しており
そういったこともモヤモヤする
その2:テイルズオブエクシリア2
ゲームとして大失敗なのは前作にあたるテイルズオブエクシリアだが、しかしこれもまたある理由からあえて2の方を挙げる
言うなればエクシリアはやろうとしたことがうまく実現できなかった、ただの失敗だが
エクシリア2は”テイルズオブシリーズへの冒涜”である
テイルズはキャラクターと世界観が重要なシリーズで
それまでのシリーズでは、タイトルを跨いで同じ世界と違う世界はハッキリと分けて描かれており世界観は大切にされてきた
キャラの服装やバックボーンもその世界に準じた、シリーズを通してファンタジーを基調としたものになっていた
それがエクシリアになってから急に崩れ
2では挙げ句に不出来な前作を補完しないどころか、シリーズ第一作、テイルズオブファンタジアに名前だけ出てきてまだ描かれていない設定を雑に出すという禁忌を犯した
キャラの外見も前作の時点で世界から浮いていたのに開き直ってファンタジーでなくなり現実世界で女ウケの良い男性の職業の制服・髪型となっている
それらで完全に俺は怒り、前作は我慢して我慢してなんとかクリアしたもののとうとうこのタイトルは最後までプレイすることを止め
VやXでメカニクスやシステムのゲーム部分が崩壊していてもなんとか目をつぶりずっと追っていたテイルズを追うのをやめることを決心した
テイルズオブシリーズは冗談抜きでJRPGどころか日本のオタゲーのシンボルで、中二病の原点だったとさえ思っている
FFやアニメのエヴァンゲリオンなどとは毛色が違う、技名を叫ぶような、データ寄りのTRPG的な、リアルを見上げて卑屈になるのではなくむしろ見下し、ファンタジー、バーチャルやブラックボックスに帰属する貴族的な振る舞いが真の中二病であるからしてだ
テイルズがなければスターオーシャンはなかったし、スターオーシャンがなければ地上波、それも当時は圧倒的な力を持つメディアだった『夕方のテレビ』でオタゲー発のアニメが流れることなんて無かった
テイルズの本編というのはそれくらい文化を牽引するような重要な座であっただけに、こんな人を舐め腐ったような事をするまでに成り下がったことには色々な方向で見て強い絶望感があったし
だめになっていくシリーズに触れていて悲しかった
次の次にあたるベルセリアの評判が良く、セールだしPS4の容量が余っていたので結局戻ってきて買ってしまったのだが
いまだに自分の中のテイルズ像が壊れてしまったのでプレイする気を無くしている
その3:世界樹の迷宮X
実を言うと俺、いま一人用ゲームが全然できない体になっちまった
あれだけ俺にはゲームだけだ!と思っていたのに
ある程度出来のいいゲームをやっても面白く感じない、やれるゲームもクリア重視でさっさと終わらせて振り返ったりやり込むこともなくなったし、新しくゲームの曲を求めることもなくなったし
冷めてしまったと言うか、飽きてしまったと言うか‥‥
その原因になったタイトルがハッキリこれだと言える、世界樹の迷宮クロスなんだよなあ‥‥
本当にこれを境にゲーム自体が嫌になってしまって、PCでマルチプレイの対戦ゲームで時間を潰す毎日になっている
クリアまでの100時間だけでなく、それまで1~5のシリーズに捧げたすべての時間と情熱、そして夢が
すべて台無しにされたような気がした‥‥
細かい具体的な悪い点は挙げられはするのだが、一言で言えば「まにあわせ」
2という理不尽でバグもあるクソゲーもあったがそれは良い意味で心に残るクソゲーだったし2は最高のナラティブを提供してくれた
クリアしたときは最後に表示されるたった数行のメッセージに涙まで流した
1~5はどれも「まにあわせ」なんて言葉とは真逆の、BGMと足音のタイミングまで緻密に仕組まれた素晴らしいゲームだった
そんなシリーズの集大成、きっと最後の作品が「まにあわせ」
普通にクリアするだけで100時間かかる、難しいからリトライの時間を含めればもっとかかる超大作で「まにあわせ」
これをクリアした時、なんだか魔法が解けたようになって、凄まじい虚無感に襲われた
それから俺はろくにゲームができなくなってしまってもう2年が経つ
いやセキロや灯火の星、ポケモン剣は純粋に楽しめたんだけど‥‥
熱量が下がって、前のようにたくさん色々なゲームをすることがなくなってしまった
PSNが悪いのか、スイッチオンラインが悪いのか、コントローラーが悪いのか、いまどきのプレイヤーが悪いのか、開発が悪いのか、出資者が悪いのか、世の中が悪いのか‥‥
色々あるけど、やっぱり俺自身の中で決定的な火消しになったのは世界樹Xだったと思う
あるはずだった”本当の世界樹X”の姿を空想することは長い期間何度もあったが
最近はそれすらしなくなった‥‥
時間が経てばと思っていたけどいつまで経っても面白いゲームをプレイしても癒えることはないしゲームのやる気はずっとない
この先俺はずっとこのままなのか?
俺が開発に携わった無料TRPG、ミニマローグDXが公開!そして謎のDMDAEMONとは?

https://minimarogue.wixsite.com/official
キャラシ無し計算無し、6面ダイス1つでプレイするシンプルな無料TRPG
ミニマローグDXが先日ついに公開された
TRPG未経験者の入門に最適で、入門者向け漫画、公式ディスコード、そしてBGMまである
TRPGに興味のある者は今すぐディスコードサーバーに参加申請だ!
ん‥‥?

イレノダクとは‥‥?
ここでDMDAEMONについて紹介だ
我は我にして我らなり‥‥
わかりやすく一言で今風に例えれば「Vtuberのクリエイター版、バーチャルクリエイター」のようなものだ!
ゆるるさんレビュー以外はろくに形になっていなかったが、10年の時を経て動き出したぞ
というわけで今日未明に開設したイレノダクのバンドキャンプをチェックだ!
バンドキャンプとは、購入者が曲の値段を決められる音楽配信サービスで
アーティストによって値段が決められていない曲は「0円」と入力することでタダで曲をDLすることができる!
ミニマローグDXのBGMページに収録されている曲はそのように値段ナシで公開しており、0円にすることで高音質版をDLできるので、今すぐ試しにやってみるといい
さらに本編には収録されていない曲のアルバム『ミニマローグサウンド・イレノダクアウトテイク』が
500円ポッキリで発売中!
こちらも値段をつけることが出来るので、500円以上の価値があると思ったらポッキリじゃなくそれ以上の金を払う事もできる
満を持してついにイレノダクが降臨、そして他の柱々も次々と‥‥?
これからはゆるるさんポータルから目が離せない!
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