「ゲーム性」とは何か

いいね通知でこんなツイートを見た

https://twitter.com/ogimafu/status/1125771096693792768



偶然見つけただけで知らない人のだけど、右腕使えなくて暇だしこれについて解説する


慣性ジャンプ+二段ジャンプ+慣性空中攻撃でギリギリ届く崖を、ゲームの進行課題にしていいのか、という内容

結論から言えば、「していい」
だが、この絶妙な距離の穴をゲーム中無造作に1つ配置するだけでは優れたゲームにはならない

これを検討する上では
想定するプレイヤーが出来るかとか、プレイヤーに受け入れられるか、という視点ではなく
この仕様をどうゲームにするかという視点で設計するのが良い



例えば

崖の形はこのままで、間にいかにもな足場らしい足場を用意すれば
「この幅の崖を渡るには足場が要る」とゲーム側で想定されているという印象をプレイヤーに与え、それによって足場なしでも渡れることを隠せる

そして後のステージでデジャヴを感じるような同じ地形を登場させ、今度は足場を出さずにそれを進行課題とし
そこでスーパードンキーコングのように求められるアクションの軌跡上に触れると回収できるアイテムを並べたり、
その課題が出る場面より前に慣性ジャンプや空中アクションを個別の進行課題やチュートリアルでプレイヤーに習得させておく


すると、「プレイヤーの腕前によって完成タイミングが違う疑似鍵」ができる


これは大きな崖を渡る技術の習得そのものが
RPGで鋭い探索をしたりゲーム終盤まで進めた時に手に入るような、行けなかった場所に行けるようになるマスターキーと同じ役割を持つ

これを成立させる事は、作業ではないゲームと言えるような、有効なレベルデザインを大きく広げる

開けた先に進行に必須なリターンがある鍵付きの扉は、単なる引き返す手間のかかる後で来る一本道でしかない
しかしノーヒントで脇道に配置する疑似鍵の谷なら、その場で諦めたり気づかなければ渡れることを発見できなかったプレイヤーの責任であり
早期であれ後期であれ渡れればプラスの感情を呼び起こす隠し道になる

進行の構成やアイテムの配置が同じでも、疑似鍵が成立していればプレイヤーは自分の意志でそうしたかのように一度行ったステージへ戻ったりボス戦のタイムアタックをするのだ



マリオオデッセイは攻略に複雑なアクションを要しながらゲーム経験の浅い子供たちにも乗り越えさせ、ゲーマーの大人も満足させている
その例だと
序盤に壁で覆われたダンジョンがある
しかし、帽子の高空静止や壁キック等を組み合わせ、複雑なアクションをすると壁の上に登れ、歩くことが出来る
そのまま歩けば進行課題をこなさなくてもゴールまで行ける
壁の上は真っ暗になっており、いかにも舞台裏へ侵入してやったという雰囲気
しかし、少し進むと地面からは見えない位置、壁の上の真っ暗な床の上にコインが山積みにされている
このコインの山は、初心者にはイカサマに見えるこのルートも想定済みであるというメッセージであり、
ただ課題をスキップしてステージ報酬を手に入れられるばかりかイカサマの報酬まで与えられるのである

結局、同様のテクニックはゲームの後半で要求される場面が出てくるが、序盤時点では基本ルートで求められるアクションが易しいため、そんなことには気づかない

そしてクリア後に行ける裏面に、バカみてえに高い壁がある
ステージ入口の壁だし、ゴールにも繋がっていないし、その場でどんな工夫をしても登れそうにない
しかしステージ終端の滑空するトカゲをキャプチャーして、ステージギミックをフル活用して、大きく逆走すればギリギリ登れる
そこにはコインも何も置かれていない
だが逆に、そこへ至ったプレイヤーに「難しい課題をクリアした」や「イカサマしてやった」を超えて、
「このゲームに勝った」「誰もできないスゴイことをしてやった」という大きな達成感を与える仕掛けとして作用している

裏面のバカ高い壁へ登るという一見プレイヤーが勝手に見出したサブゲームが
報酬をなくすことでゲームに勝つ感動を報酬にした想定内の遊び方か、本当に想定外なのかどうかはわからないが
どちらにせよ、それがゲームになれたのは、
アクション習得の「疑似鍵」が成立し、活用できるステージをプレイヤーに体験させていたからだ