【思い出話】スーファミ編2

【思い出話】スーファミ編1 https://dmjex.blogspot.com/2019/03/1_9.html
の、1年ぶりの続きである

今回は俺がリアルタイムでプレイしていたスーファミソフトの話をする

はじめに手にしたのは
『ミッキーの東京ディズニーランド大冒険』
と『スヌーピーコンサート』の2本である


‥‥そう、子供向けのキャラモノと思い買い与えられたその中身は
いきなりの高難度ゲームとキワモノゲームだった

ピコ以外のゲームを知らないどころか
説明書で言葉を覚えるとかそういうレベルでありながら
祖父母も出動し家族全員でゲーム機という未知なるものと格闘しながら、接続や操作のレベルから何をすればいいのか探っていった思い出がある


ディズニーランド大冒険では最初のボスのピート船長は頭以外に攻撃をぶつけても効かないのだが
頭なら効くということがわからず、転がしてくるタルを延々ジャンプしながらマップ内を探ったり‥‥

スヌーピーコンサートではチャーリーではガチで何をすればいいのかわからなかったり
リランのベビーカーコースターの1面や、ライナスの崖ステージをクリアできずにひたすら挑戦していたり‥‥


「PASSWORD」の意味もわからず、家庭にインターネットもなかった時代、説明書とにらめっこしながら
テレビゲームそのものを少しずつ攻略していき、長い時間をかけて1つ1つを大事にクリアしていった


次に手にしたのは初めてのマリオとカービィ
『スーパーマリオワールド』と
『カービィボウル』である
‥‥これまたゲーム入門者には厳しいタイトルで
数ヶ月は1面から進むことができなかった気がする

近所に住む子だか親戚だかもうちへ遊びに来てカービィボウルの2Pプレイをするが、お互いボロボロで2面くらいまでしか進めなかった記憶がある
(ピコを除けば)初めてのゲームが上の2本というのもなかなかだが
初めてのカービィまでもがカービィボウルってすごくないか?

当時はまだゲームショップにタイトルごとの試遊台がズラリと5,6台横並びになっていて
そこで『星のカービィスーパーデラックス』を試遊したのが本編カービィの初プレイだ
しかし最初は画面が白き翼ダイナブレイドの1面になっていて、
ゲーム=サイドビューアクション、
落下=死
だった自分には最初の足場から降りることがわからなくて
ひたすら足場を飛び移ってピョンピョンしていたが
別の子がその試遊台で飛び降りているのを見て知見を得たことを覚えている

横の『スーパーボンバーマン4』の試遊台で
「何をすればいいのかわからず開始地点にボムを置き自爆」の通過儀礼を通っている
(4は結局プッシュ等のシステムが教育上悪いとかで買い与えられず、十数年が経ってから自分で調達してプレイすることになった)


そんな中、思い出深いタイトルがある

『スーパードンキーコング』と『スーパーボンバーマン3』『スーパーボンバーマン5』だ
幼少期はまだ家庭が平和で、この名作2タイトルには親もハマり
この先へ進んだら何があるんだろう、とワクワクしながら攻略本を読みながら母とかわりばんこに協力しながら攻略していた
父との”たたかいごっこ”もスパボン3の敵キャラの真似だった

『す~ぱ~ぷよぷよ通決定版』(やはりネットがないので連鎖の組み方なんて共有されていない)
は祖母がハマり「ウワサの2人の階」まで俺よりも先に到達していた

遠い家族団欒の記憶、それが俺にとってのスーファミである


しかし純粋にゲームとして見て最も印象に残っているのは『星のカービィ3』
プレイしたのはGBの『星のカービィ2』のあとで、下村カービィに触れるのは2作目だったが
最初はスパデラとの差に驚いたのを覚えている
同じスーファミのカービィなのに全然ハデさや操作感が違くて、それでいてアーティスティックで、他のスーファミのゲームと比べてもかなり異質なタイトルに見えた
しかしその何も語らぬも暗く儚い世界観に完全に引き込まれていった
このゲームのグッドエンドの曲はもし自分の葬式をやるならかけて欲しい曲No1でありつづけている



またいつになるかわからない思い出話のゲームボーイポケット編でも語るが、ポケットカメラをスーパーゲームボーイに挿してプレイなんて事もしていた



他には『忍たま乱太郎2』や『ドラえもん4 のび太と月の王国』といったサイドビューアクションのキャラゲーが主に買い与えられており
リアルなグラフィックなゲームやスーファミのRPGはリアルタイムではプレイしていない

お陰でサイドビューアクションが最もキャリアが長く得意なジャンルとなった

風来のシレン、ポケモン、麻雀 ラックマジネメントゲームを考える3

初代シレンのエンディングを見てからしばらく経ったので、ここで再びゲームの運要素とそれと向き合うプレイヤーの体験の質について考えることにした

まずシレンは、プレイ経験とNPCのセリフなどゲーム中に散りばめられたヒントと敵の行動を観察した経験によって知識を得て
その知識を利用することによって、
今プレイヤー置かれている状況から何が起こるか、どんな戦略が有効かを予測し
死のリスクという最大の一線を超えないように限られたリソースを活用して立ち回るラックマネジメントゲームである

ここで重要なのは「対処不能な状況へ至る前にそれを回避する戦略を取ることが出来る」ことにある
フロアを降りた直後に強い敵3体に囲まれるということが発生し、その場合に巻物などを持っていないと詰んでしまうが‥‥
一見運死にに見えるこの状況も、回避できないことはないバランスになっている
それは
『1フロアで必ず数個はアイテムが手に入るようになっている事』と、『フロアの敵が枯渇せず湧き続ける事』、『ただ使うだけでは武器が弱くなったり壊れたりしない事』
がミソで
同じフロアに留まるほどレベルは上がるし、ピンチを切り抜けるのに有用なアイテムを手に入る確率も上がり、腹減りもよほど無駄な動きをしなければまず困らないようなバランスになっているので
同じフロアで探索・レベリングをすることの危険度が低い設定が揃っている
運が悪くても矢や杖の数が足りるのかは繰り返しプレイしなければわからないが、倉庫によるアイテムの持ち込みを利用することでより安定させることが出来る

それでいてかつ敵が非常に強く難しいので、強いアイテムが出た時の幸福感、それを使う消費欲の解消、先へ進む達成感を感じさせてくれる

ゲームがプレイヤーにできる「予測」と「対処」にどれだけ近づけるかが、運に対して理不尽さや無力さを感じさせないポイントなのかもしれない




一方でポケモンには、大きく分けて2つの運要素がある
一つは対戦用育成、もう一つは対戦中の確率である
一人プレイでは難しければレベルを上げるか詰まった場所を突破できるポケモンを用意するかなので、ラックマネジメントはあまり関係がない
対戦用育成における厳選は、完全な運でしかなくコントロール不可能な作業であり
プレイヤーにできることといえば厳選に必要な環境の下準備をゲーム内外ですることくらいで
なくすに越したことがない要素といえる

対戦中の確率は、支配戦略を定める範疇に収まっており

特に命中率という要素では技が4つという制限に現実的には相性が悪くなっている
例えばだいもんじとかえんほうしゃを同時に覚えさせることができるポケモンはいるし、第四世代くらいの頃はまだそれを実践しているプレイヤーもいたが
往々にして技の枠が一つ余るということはなく(ダブルバトルでは尚更)有効な戦略とは言えないため、ただゲーム側でできるように設定されているだけで実際にそれを行うことはない

タイプによる差も第八世代現在もあり、対戦で通用するステータスでかつストーンエッジとパワージェムを両立させるなんてことができるポケモンは存在しない

結果として命中率についてはもう期待値に期待して命中率の低い技を撃つか、命中100の技を中心に構築したパーティを使うしか無いわけで
実質的にマネジメント不能な運要素となってしまっている

ひるみや麻痺といった追加効果については、トゲキッスやランドロスを突破できるポケモンを選出するか、何らかの状態異常に備えてアイテムの補助が必要ないポケモンにラムのみを持たせるという極めて限定された対処法しかなく
種族値の低いポケモンでこういったものを利用して長期的に勝ち越すこともなく、これもまたマネジメントができるという範疇を出てしまっている

ただはじめに言ったようにこれらは支配戦略を定める要素にはなっており、
相手の支配戦略を見極めて行動を決定するというゲームにはなっている
だがそれによって問題点が埋もれ、対戦までに面白さがない単純作業を必須でやらされるとか、好きなポケモンで勝てないとか、いまだに所持人口に対して対戦人口があまりに少ない状態が続いている
自分自身ももうやる気がないし、それよりもまずオンライン有料を撤回しろと言いたいが‥‥




これらを踏まえてもう一度麻雀を見ると

だいぶ運に対する有効打が無いように見え、できることといえば
振り込まないようにすることと、待ちを切り替えることくらいだろうか
勝っている時は安い役でアガるとか、危険牌になりうるものを早く捨てるとか戦略性はある
そして防御ばかりしているといつかツモられて負ける
しかし運だけで東風戦に勝つこともでき、一定の公平さがある
予測と対処から遠いにもかかわらず、ただ運を味方につけやすいという点だけで理不尽、無力から遠ざかっている

一方で、ジャンケンに理不尽さや無力さを感じる人もいない
麻雀は飽きないように装飾したジャンケンなのか?
ジャンケンの工程を増やせばジャンケンではなくなるのか?

麻雀をこれ以上考えるには、麻雀をきちんと学ばなければならない