ゲームの暴力シーンは残酷で有害なのか?



暴力は、見ていて気分が悪い。

なのにどうして、ゲームやアニメなどの映像作品の暴力シーンは「カッコいい」と思うんだろう?

 

 

それは、映像作品の暴力シーンでは

「身体を傷つける」暴力ではなく、

「拳や剣などを振るう際の動きやエフェクト」、

つまり”演舞”を魅せているからだ。


 

 
●「暴力」と「演舞」の違い

 

 

たとえば、ゲーム『ストリートファイター6』では、

おなじ大技であるSA3でも、リュウの真・昇龍拳はカッコいいのに、

ルークのペイルライダーは大技感がなくただの暴力に見えてしまい、

カッコ悪い(非道な)印象を受ける。

 

リュウの真・昇龍拳は身体の筋肉がすさまじく盛り上がり、

拳の動きがクローズアップされ、

拳が当たるときにピタッという”止め”の動きも見せられている。

つまり、リュウの真・昇龍拳では暴力が「演舞」として描写されていて、

見ているひとに爽快感を与える。

 

しかし、ルークのペイルライダーは馬乗りになって殴るだけだ。

これは実際の総合格闘技のマウントポジションを再現したのだろうが、

リアルの暴力を想起させてしまう。

エフェクトが地味なのも相まって、

ルークのペイルライダーは「演舞」の要素がなくただの暴力に受け取られ、

見るひとに痛ましさを感じさせてしまう。

 

 

「演舞」は演出的な動きを楽しめるのに対し、

単なる「暴力」はリアルな痛みを想起させる。

 

 
●演舞ではない暴力が求められるとき

 

 

一方で、ひとは演舞とは異なる暴力描写を求めることがある。

たとえば、「ホラー映画の恐怖シーン」などだ。

 

 

わざわざ痛みを感じる辛いものが食べたくなるときがあるだろう。

そんなふうに、ホラー作品やグロ画像や不良の喧嘩動画などのような、

ストレスを受けるコンテンツを積極的に摂取したいときがある。

そんなとき、演舞ではない暴力シーンが求められる。

 

だが、”快”の「演舞」を求めているときは、

”痛み(不快)”の「暴力」はいらないのである。

 


 ●暴力と演舞を一緒くたにすることで起こる分断


 

 

ゲームの暴力シーンは、見るひとによっては、

「演舞」としての暴力も、そうではない暴力も、

等しく「暴力」であり、悲痛なものに感じられる。

 

そういうひとにとっては、

ゲームをプレイするひとが「非道な暴力ではなく『演舞』の要素を楽しんでいる」ということが、伝わりづらいかもしれない。

 

ゲームを嗜むひとでも、「暴力そのものを楽しむこと」と「演舞を楽しむこと」の違いを認識しづらい。

その結果、「暴力を嫌悪しているのにゲームでは暴力を楽しんでいる」という自己矛盾を抱えてしまう。

転じて、「本当は暴力が嫌だけど、暴力を支持する立場にいないと好きなものが否定されるんじゃないか」と苦悩するかもしれない。

 

「演舞」という視点を理解すれば、

暴力シーンを含むゲームのことを理解する助けになったり、

そういったゲームに対する自分の考えを整理しやすくなったりするのではないだろうか。
 
 
 
 
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※この文章は、アバタラDMの書いた原文を、
知人が「読みづらすぎるクソ文章」と評してわかりやすく書き直したものです。
 
※ヤバいくらい読みやすく、伝わりやすくなってびっくりした

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