●格ゲーはどうあがいても難しい
なぜ格ゲーは難しいのか?その理由は場面ごとの「ハズレの行動の多さ」にある
例えば、今世界で人気のあるマルチプレイゲームのジャンルにFPSがあるが、FPSでは右へ動こうが左へ動こうが大した違いはない
しかし格ゲーは動く時は常にガードを入れながらでないとダメだし、 タイトルによっては距離や状況で適切でない技を振ったり適当にジャンプをするだけでも命取りとなる
「コマンドの撤廃」とか「連打で出る自動コンボ」とか「オートガード」「ボタンガード」とか、そんなことでは解決不能な根本的な難しさがあり、より本質的な解決を目指すなら格ゲーから離れていくことになってしまう
●GGXX/が新規稼働という時期に何故俺は格ゲーデビューしたがっていたのか
コマンドがあってコンボがあって、経験者に勝たなければゲーセンの席に残れない、
格ゲーを詳しく知らなくてもそんな世界は傍目から見ても「敷居が高く、難しい」ものである
にも関わらず、俺は格ゲーをやってみたくて仕方がなかった
なぜなら、だからこそ格ゲーに「憧れ」を持っていたからである
自分の好きなゲームで人と1vs1で戦って、ゲーセンの人らがやっているような難しいすごいプレイを自分でもやってみたい、そんな思い、チャレンジ精神があったからこそ完全未経験の俺は格ゲーをやりたくて仕方がなかった
●「並のプレイじゃびくともしない」を求める者のための世界
見出しのキャッチコピーは格ゲーではなくスマブラDXのものだが
俺がゲームで一番好きなキャッチコピーだ
新しいゲームをこれから買わせたい人、入門させたい人へ伝える言葉として、とても今の時代では考えられない文だが
これは対戦ゲームとしては優しい言葉なのである
だって「これからやることは難しい事だから、はじめは負けたり失敗するのが当たり前」という免罪符の役割になっているのだから‥‥!
勝ち負けや難しいコンボどころか、もうプレイしているだけで偉い、買っただけで通、知ってるだけでオタク、――そう、難しいゲームアピールは敷居を下げる甘やかしなのである!
そんなことはいざ知らず、ただ通ぶりたいだけの素人な俺は格ゲーに入門して負けまくりながらも、難しいことが出来るようになるまでの過程を楽しみ(今でも大して難しいことはできない)出来たことを自己肯定しながら格ゲーを続けられたのだ
●SARS2時代の格ゲーシーンに新規参入者を入れるために本当に必要なもの
かつてゲーセンが1駅に3つや5つはあった頃、ネットが盛んでなくても「格ゲーは強いやつが1クレで長く遊べる」という勝つことが難しいのは当たり前という認識があった
だから勝つために苦しい練習はするし(俺はしなかったけど)、一つでも学ぼうと強いヤツに連コしたものだ
今ではSARS2の影響(が出始める前からだけど)でゲーセンがバンバン潰れて、
ポート開放しなくても、IPを晒さなくてもネット対戦ができるのが当たり前、ゲーセンの中でも鉄拳7やネシカ2、APM3でオンライン対戦が実装されて、むしろオンラインでやるのが当たり前になっている
初心者がアクセスできる情報は主に動画として大量にあり、ディスコードという優秀なコミュニケーションツールもある
そこで必要な言葉は「初心者はまずこれをやること」「初心者におすすめなのはコレ」ではない
「格ゲーは難しい、選ばれた者のみがプレイできるゲームだ」 である
実際やる気、適正がなければいくら噛み砕かれようと歩み寄られようと格ゲーを続けることはない
だって事実としてどんなシステムが追加されようと格ゲーは難しいのだから
ならば、包み隠さず本当のことを言い、特別感に酔い痴れさせ敗北や練習の痛みを麻痺させるのが得策なのである
思い出してみてほしい、近年ヒットしたシングルプレイゲームを
ソウルシリーズに釜登山、ジャンプキング、どれも「難しいゲーム」で名が通っているではないか
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