2025年1月26日日曜日

近況と、令和7年この先やりたいこと

 ●ゲーム制作どーなっとんねん
アンリアルエンジン製の格ゲー、DU(デュエルユートピア)‥‥
の開発に時間がかかりすぎるため、
同じUEで「キラキの道具道 鬼退治道中」という、戦闘中のコマンドが『アイテム』だけのRPGを、DMDAEMON初の有料ゲームという位置づけで作ることにしたのだが‥‥
赤裸々に進捗を語ると、
まず立ち絵があるキャラのデザインをやっているのだが
ラフ→デザイン決定稿→(歩行グラ)→本番立ち絵と進めるうえで
最初のキャラのラフを描いたのが2024年11月19日で、まる2ヶ月経ってまだ全キャラのうち半分くらいまでデザイン決定稿を進めただけになっている
1年くらいでキラ道鬼を完成させたかったのにこれは遅すぎて終わってる
 
 
●今一番ハマってる事
11月頭からやりだした紙のポケカに猛烈にハマっている
ジムバトルで優勝してからシティリーグにも出ることにして、2月2日に初出場予定
ゲームは遊戯王マスターデュエルをやってる事が多い
 
 
●やめた事
巡回してた匿名系サイト(5chVIP、talkVIP、増田)を断つことにした
ブクマを消してスマホの専ブラも消したので、たまに見ていたふたばやウメスレももう見に行くことはなくなった
とうの昔に面白さの摂取もできなくなっているし もはや流行が見えるわけでもなく、ただ過去の思い出と手癖で巡回していただけで、ストレスが溜まることの方が多くなっていたからだ


●やりたい事とやりたくない事
まずゲーム制作は本当にピッチを上げてやりたいんだが、
他に遊びの幅をさらに増やしたいというのがある
ここしばらく自分が主体的にやって楽しめている遊びが外でやるポケカと、家では遊戯王MDしかないので
いつも家にいる時うっすらと閉塞感を感じている
 
またしょっちゅう、なんでもいいから何か発信するという行為をやりたいという衝動に駆られては
やめておいたほうがいい理由が頭に出てきては衝動を自己否定するのを繰り返しているので
まずはハッキリと発信でやりたくない事をまとめておく
 
やりたくない事1.
『ゲーム等作品のレビューや評価を発信する事』
各種のリスク云々は一旦置いといて、
あとバグ情報みたいな主観と関係ない不変の事実も置いといて、
俺は、人は常々ネットの意見に流されすぎると思っている
「皆が絶賛しているから」
「賞を取ったから」
「有名な○○がつまらないと言っていたから」
とか
仮に俺のレビューや評価が影響力を持ったとしよう
その結果、特定の作品に対する世間の評判が、俺の手が加わらなかった評判の正反対だったとして、
一見俺と同じ志向の意見を持つ人が増えてハッピーになるかと思いきや、
結局何も世界は良くなっていない
どういうことかというと、結局そのムーブメントにおいて多くの人が俺の意見に心から同意したり感銘を受けているわけではなく、受け取り手がいかなる立場の人間であっても俺を源流とする風潮に流されているだけで
風見鶏がどっちを向いたかでしかないわけだ
そんなものは何か別にメリットがないのなら俺にとって徒労でしかない
企画しようとしたり作ったり見たりプレイしたりした時点で自身の主観から生まれた意思以外は、同じ旨のことを言っていても情報の質と量がまるで違う
いわば人の皮を被ったゾンビである
ゾンビがどっちに動こうと俺はちっとも嬉しくないし
それでもたらされるものは史実になっても実態がフェイクだ

やりたくない事2.
『ゲーム実況』
俺が実況プレイをすると話にもゲームにも集中できなくなるから向いてないし
ゲーム実況が見る価値あるコンテンツたりうるのは、プレイヤーに”意外性”があるからだ
「普段ゲームをやらない人がゲームをやっている」
「男ばかりのタイトルを女がやっている」
「FPS勢が格ゲーをやっている」
「普段自分じゃ交われないプロがプレイを見せてくれたり相手してくれる」
「好きなタイトルだけど配信する人が滅多にいない、だけどこの人は配信している」
つまりゲームの実況プレイをしている様子が非日常でなければ、内輪など知っている仲でなければわざわざ見たりしない
あとゲームは気分でやりたいから配信のためにゲームをやりたくない

やりたくない事3.
『インプレッションやバズ狙いで他人と同じような事の発信』
『非オタの一般層を意識するような事』
発信行為で金稼ぐわけでもないし、こんなことを俺がやる意味はない

やりたい発信の内容はこれだけ書きながら考えても思いつかないんだが、
この先俺がブレた時にこれらを思い出せば初心に戻ってこれるだろう

2025年1月17日金曜日

三点リーダと自意識と常識

常識、慣例、スラングには、合理性がなかったり選択肢のあるものがある。
三点リーダを2個セットで使うのが正しいとか、(笑)の表現方法(「ww(全芝複数)」や「草」や「カッコ無し笑」など)とか。
どれに従うかは自分が帰属したい集団や出したいニュアンスに合わせて決めるのがいいのだが、
 
三点リーダを2個セットで使うことに関しては、俺はアカデミック至上主義のアンチであるにも関わらず、何の疑問も持たずに「……」が正しい表現であると鵜呑みにし、使うことで情強ぶっていた。
そして、これを基準にして可読性や手書き時の書きやすさを求め、あまり巷で見ない二点リーダ2つ「‥‥」を俺流として定めて、個性が出せる場では「‥‥」、公的な場や匿名の場では「……」を、使い分けるために変換の辞書登録までして常用している。

しかし、三点リーダ2個セットの源流はヨーロッパの印刷で「……」を1文字としてそれしか打てなかったからというものであり、そもそも三点リーダ自体が洋書の翻訳に使うため後から日本へ入ってきたものだという知識を今日受動的にyoutubeのおすすめで三点リーダ2個に疑問を呈する動画を見て、それをきっかけにググって知った。

つまりは外国に右にならえを思考停止で無意味にするだけの俺が嫌いなムーブを元にして日本のアカデミック界隈という俺が嫌いな集団で決められた何の合理性もない常識を俺自身が使い権威化していたという大矛盾に、偶然俺が嫌いな外国製サイトの俺が嫌いなAIが勝手におすすめしてくるもので見かけなければ気付けなかったという大屈辱である。
 
じゃあ三点リーダの使い方を変えるかと言うと、俺のスタンスに見合った使い方が見いだせない。
「…」だと今日までの俺みたいなバカやアカデミック至上主義者に「知ってはいるがアンチでわざと外している」ということが伝わらないまま、やつらから見れば単なる常識知らずだと誤解されたうえで見下されるし、 
「、、」や「。。」は好んで使う人の文化圏が違うし、なんなら三点リーダと微妙に異なるニュアンスが含まれるから使いたくない。

こうなったら、無理矢理にでも2個セットを標準にする理由を見出し、2個セットの場合だけ2点リーダを常に使うという方法をとるしかない。
「点々の数を増やすことで時間の経過を表現するとして、1個が標準だと文字単位でそれ以上減らすことが出来ず短い時間の経過を表せなくなるから」
ということにすれば帳尻が合う。
これでいこう!