三点リーダと自意識と常識

常識、慣例、スラングには、合理性がなかったり選択肢のあるものがある。
三点リーダを2個セットで使うのが正しいとか、(笑)の表現方法(「ww(全芝複数)」や「草」や「カッコ無し笑」など)とか。
どれに従うかは自分が帰属したい集団や出したいニュアンスに合わせて決めるのがいいのだが、
 
三点リーダを2個セットで使うことに関しては、俺はアカデミック至上主義のアンチであるにも関わらず、何の疑問も持たずに「……」が正しい表現であると鵜呑みにし、使うことで情強ぶっていた。
そして、これを基準にして可読性や手書き時の書きやすさを求め、あまり巷で見ない二点リーダ2つ「‥‥」を俺流として定めて、個性が出せる場では「‥‥」、公的な場や匿名の場では「……」を、使い分けるために変換の辞書登録までして常用している。

しかし、三点リーダ2個セットの源流はヨーロッパの印刷で「……」を1文字としてそれしか打てなかったからというものであり、そもそも三点リーダ自体が洋書の翻訳に使うため後から日本へ入ってきたものだという知識を今日受動的にyoutubeのおすすめで三点リーダ2個に疑問を呈する動画を見て、それをきっかけにググって知った。

つまりは外国に右にならえを思考停止で無意味にするだけの俺が嫌いなムーブを元にして日本のアカデミック界隈という俺が嫌いな集団で決められた何の合理性もない常識を俺自身が使い権威化していたという大矛盾に、偶然俺が嫌いな外国製サイトの俺が嫌いなAIが勝手におすすめしてくるもので見かけなければ気付けなかったという大屈辱である。
 
じゃあ三点リーダの使い方を変えるかと言うと、俺のスタンスに見合った使い方が見いだせない。
「…」だと今日までの俺みたいなバカやアカデミック至上主義者に「知ってはいるがアンチでわざと外している」ということが伝わらないまま、やつらから見れば単なる常識知らずだと誤解されたうえで見下されるし、 
「、、」や「。。」は好んで使う人の文化圏が違うし、なんなら三点リーダと微妙に異なるニュアンスが含まれるから使いたくない。

こうなったら、無理矢理にでも2個セットを標準にする理由を見出し、2個セットの場合だけ2点リーダを常に使うという方法をとるしかない。
「点々の数を増やすことで時間の経過を表現するとして、1個が標準だと文字単位でそれ以上減らすことが出来ず短い時間の経過を表せなくなるから」
ということにすれば帳尻が合う。
これでいこう!