2020年9月9日水曜日

話題のペラコン2020、遠藤雅伸、炎上について物申す

まずペラコンという企画が地獄

CEDECのペラ企画コンテスト、よくこの企画が9年も続いてるよなというのが第一の感想
実際に応募された歴代のペラを見ればわかるが、これを全て真面目に審査し順位まで付けるのは地獄である
今年の応募数はとか今年は特にというのが遠藤雅伸の言い分であるし言われていることではあるが、過去のものも大概である

というのも、2011年当時からずっとスマホアプリとゲームが分かれておらず(パチンコとビデオゲームを一緒にしているようなもの。論外である)
テキトーなゆるい企画のまま規模だけが大きくなっていっているのがわかるし
その内容も、じゃあやれパワハラだなんだと言っているあなたはペラコンのゲームが実装されたとしてプレイしたいと思いますか?ありえんだろ?ということである

ゴミをゴミと言って何が悪い、だし、そのゴミを集めるだけの地獄を続けて律儀に運営している意味もわからない





ペラコンは何がしたいの?やるならやるでこうすべきでは?

PERACON2020でドアやシャッターを閉めるのに見飽きた遠藤雅伸の選んだペラは「しめる」を穿って「湿る」と見た、スマホをタップして紙を湿らせるというペラである
‥‥(大)東京トイボックスに出てきた単語の連想でかぶらなかったヤツを残す話か?くだらねえええええ!
ゲームを作る発想で大事なのは少数派になることではなく
どう実装して人の心の何に訴えかけるか、あるいはゲーム部分で新鮮味を出すことではないのか?
ドアを閉めるのがテーマで下方向やAボタンで閉めるのが操作のゲームにいかなる意味をもたせ、いかに面白く味付けできるかどうかではないのか?
しかしながら結局1位はドアを閉める(一応ピンボールのドアなので少数ではある)で、パット見の絵的な印象が良いだけのゴミ。核となるピンボール風ドアがバグ、処理落ち、ストレスの原因になるのが目に見えている
また、60位台で審査員賞を受賞している本当にドアを閉めるだけのペラは絵的に優れているだけで、アイデアはフリック方法を変えるまでしか描かれていない貧困なものだった
「湿る」よりも少数であった「占める」というテーマのステータス成長バトロワは黒背景に棒人間で文字が多かったせいか、内容は上位のペラよりまともなのに審査員得点は6点だった

つまりは、ペラコンが何を求めているかと考え見えてくるものは、
・お題に対する(具体的な)テーマが少数派
・ゲーム企画の体裁をとった1枚絵としての絵力

であり、

・実装した時に破綻なく面白くなりそうか
・ゲームの企画としてのユーザーやメンバーへの求心力

といった本当に大事であるはずのものは重視されていないように見える。
過去の結果を見ても、絵作りが優れていてかつゲームのアイデアとしての内容に具体性があるものが上位を占め、
文字数の多いものやテーマが多数派のものは総じて順位が低い


体制を見直すとは言っているが、審査員の人格を破壊するレベルまで膨れたペラコンを続けるなら
こうすればいいのにと俺が思うのは以下である

1.プラットフォームをコンシューマー+PCに限定する。プロのスマホアプリ屋を予め締め出す
2.審査基準を明らかにし、審査員間でも共有する。ターゲット等を文字で書かれるのが嫌なら明記すればいい
3.順位をつけず、受賞作、優秀作、佳作、凡作、駄作、失格に分ける
4.応募を予約制にし、数を90程度に絞る





遠藤雅伸はweb調査のフィードバックを過去のようにweb上で一般公開しろ

ゲームに関する様々なweb調査を繰り返し行っているが、フィードバックがポスターやリアルの会での発表のみになった。
ネット上で結果が見れた頃は俺もせっせとアンケートに答えていたが
フィードバックが実質無い今では全く回答する気にならない
ツイッターなんぞで繰り返し調査の協力を呼びかけているが
ゲームの神様ならどうしたらユーザーが動きたくなるかを考えてほしいものである




炎上に乗り遠藤雅伸やペラコン審査員を叩いている連中について

繰り返すが、ゴミをゴミと言って何が悪いのか?
立場をどうこう言う前に、ペラコンを見たことがあるのか?
パワハラとか言って、それはどこで誰に行われたパワハラか?傷害や閉じた場で信用を失わせる、器物や利益を失わせる等の本当に深刻なパワハラと同じ言葉を使っていいのか?お前に関係あるのか?

そもそも、ペラコンに応募する人間がどんな動機でペラを投げるのか考えてもみろ
ペラは何のためのもの?企画書は何のためのもの?過去からあるペラコンの実態は?
そう、もう応募するという段階で、内容以前にペラコン応募者=ゴミなのである
ペラコンはゴミを集める地獄の企画である

ゴミやクソゲーの存在を擁護するなら俺の作ったクソゲーもやれ https://yrrsn.exout.net/aiteki.html

そもそも、俺が今、意趣返しをして笑えもしない本当のクソゲー、下手な絵、10%程度の力で作った曲(100%は販売しているサントラ)、
「クオリティの低い作品」つまりはゴミを公開しているのは
やることがなくて仕方なくやっているだけだから、と俺は人に言っているが
結局のところ、世の中に失望しているからである

10年前以前の感動、15年前以前の一体感は消え
評価されるべきものが埋もれ、褒めるのは元より難しくてもダメなものや悪いものを悪くすら言えない、消費活動がまともにできなくなった現代人に失望し
クソな作品によって時間を奪い人の中にあるゲームの価値を下げることに何の罪悪感も感じず、友人同士の話の種を上限とする現代の普遍的価値にもはや意味を感じていないからである

だから何かに時間をかけて無駄になっても何も悔しくないし、人生に何の危機感も後悔も感じていない

10年以上前に同じことを言えば単なる落伍者だっただろうが、今の世を真面目に生きる事に果たして価値があるのか?


そんな中で、作った物を評価してもらい、コメントしてもらい、公開してもらえる、そんなのは超贅沢なことであって、
ゴミ、クソの一言で済まされようとも頭を下げて感謝すべきである
開発厨はヒエラルキーの最下層であることを自覚し、慎ましくしているのが正解だし踏みつけられるのが役割だ

他人のクソに48時間も向き合った遠藤雅伸、それに及ばずとも大量の時間をドブに捨てた審査員のことはむしろ称えるべきなのである